White thunder

戦場を切り裂くもの。

「行け者ども!やつらの骨を国へ送り返してやれ!」


誰彼時。

一日に疲れた日輪が未だ喧騒の止まぬ大地を血に染めながら、のろのろと地平線の彼方へ消えようとしている。
近いうちに彼は消え、夜の女王たる月が出る。
だが下の平野で鎬を削りあっている二国にとっては迷惑な話だろう。
今も昔も月は貴賎を問わず愛されているが、太陽が消えれば戦は続けられない。
つまりはそういうことだ。
現在長々と繰り広げられている戦模様を簡単に説明するとこうだ。
どういうわけだか双方とも補給線を断たれ、どちらの兵糧が尽きるが先か。
もはや大規模な我慢大会である。
勝負強い日ノ本の一国にあって、異国に攻め込まれた理由。

単に巫覡不足だ。

巫覡への給料をケチった結果というべきか、当然の報い。
ケチる余裕があるなら、一般兵の鍛錬をサボるんじゃないよ。織田軍みたいにさ。
こんなに追い込まれるまで戦ってたら、私たちを呼んだ意味がないじゃないか。

「悪い」

椀になみなみと注がれた味噌汁に口をつける前に、湯気を吹き消すように息を吹く。
鹿、大根、三つ葉、人参と見た目よく味もいい。
無駄なプライドを捨てて、早く呼べば大根一本という切ない飯から抜け出せるというのに。
それともお偉いさん方の飯はまだ一汁三菜程度はあるのか。
弾力のある肉を噛み締めながら、半分ほど見えなくなった日輪を見る。
「今日も出番はなしですかねぇ」
「奴さんが誘ってくれなきゃ、招待状に効果はない。
ったく戦に備えて飯の味付けも濃いのに、これじゃ舌が馬鹿になるな」
健康志向な上、薄い味付けが好きなのに。

……まあ、文句なしに旨いんだけど。

椀越しに鎮座する童女を見る。
年端もいかぬ幼い子供。名は白兎という。
緑髪を一本にまとめ、眼窩には今にも零れ落ちそうなほど大きな黒曜がはまる。
頬はふっくらとしてバラ色に染まり、小さな紅唇はかわいらしい。
視線に気付いた彼女が微笑む。

あ、くらっときた。

背にある刀と髪の間からのぞく獣の耳に初めて見る人は首をかしげるだろうが、夏蔭にとっては文句なしに愛らしいと言える容貌だった。
だがすぐにその眉尻が下がった。

「ど、どうした!?」

「このような味付けの汁物をお出しして、夏蔭様の御身体に悪いようなことがあったらと不安で不安で……」

兵糧の管理も調理も任せてあるのは彼女だ。先程の言葉の後半は小声で言ったつもりだったが、どうやら聞こえていたらしい。
慌てて首を振り、必死になって否定する。

「こんなくらいじゃ平気だ!それに白兎の飯は濃くても薄くても旨い!」

「ですが夏蔭様の体調にはよくよく注意するよう御父上から仰せつかっていましたのに、まさかあのあだし男がこんな無能とは思いもよらず……。
あの気違い殺す」

「お前は何一つ悪くないんだから、そんな悲しい顔はするな!」

「夏蔭様!」

「白兎!」

二人は固く抱きしめあった。
言っておくが二人の間に流れるのは恋愛でなく親愛である、多分。
こうなってしまっては誰も話しかけないのが賢明だ。主に白兎がキレるから。
だからその場にいた者たちは皆、各々の食事に集中した。
文字通り触らぬ神に崇りなし。
こんなことで血祭りにあげられては身体がもたない。余分な精神力は致命的なミスを犯したときに取っておこう。

「夏蔭殿!」

愚か者の登場である。
案の定白兎は激しく舌打ちし、膝の上で向きを変えた。
上機嫌で彼女の頭を撫でていた夏蔭も、白兎を抱えたまま渋々顔を上げる。
小高い丘から滑り降りてきたのは、見張り役を頼まれていた炎魃という男だ。
このメンツの中でも珍しい男とあって、見事に浮いている。
助けを求める狼煙でも上がったのかとぼんやり考えてみるが、別に急ごうとは思わない。
なぜならそんな事態に陥るまでプライドにこだわり続けた奴等が悪いからだ。
それに真の救世主は遅れてくるという格言もあったような、なかったような。
走ってきた彼はかなり手前で足を止め躊躇した。

「どうかしたのか?」

「言いたいことがあるならさっさと仰ればいいじゃないですか」

「まあまあ、そんなに怒るなって」

「せ、戦況に動きがござりまして……」

「何?」

じりじりと近寄ってきた炎魃から望遠鏡を奪い取り、あの丘まで走って行って腹這いになる。
伸ばさなくては使えない望遠鏡を煩わしく思いながら筒を覗くと、さっきまで芥子粒のように見えていた戦模様が鮮明に現れた。
ついさっき見たときは拮抗していた軍勢が西へと流れていく。
片方は金髪入り混じる眩しい西洋軍、もう片方は髪も鎧も地味な印象を持つ日ノ本軍。
前者が敗走、後者が追撃という構図だが、よくもここまで長引かせたものである。
西洋は早くに戦乱が収まったため、ぬるま湯に浸かっていた期間があった。対して日ノ本は荒れ続けたので、織田軍はあっという間に西洋に侵攻した。
今となっては歯向かう国は無くなったが、まれに世代交代があると来るやつらがいる。今回もそれだ。
もちろん隠居した先代がいればすぐ叩き潰しただろうが、いかんせん何もかも悪い方向に傾いていた。
今回攻め込まれたのは前国主が急逝し、まだ幼い若君が国主の座に就いたばかりだったのだ。
海の方へとレンズをずらすと、黒い煙が昇り竜のように立ち上っているのが分かる。
援軍を来たらしい。
我が雇い主はこの事態に気付いていないのか。だから面倒なことになる前に呼べと言ったのに、と文句を垂れるがもう遅い。
黒星が輝くのをただ待っているのは馬鹿だけだ。顰蹙は買うだろうが、勝手な行動を取らせてもらおう。
夏蔭はやれやれと首を振ると、高価な望遠鏡を地面に押し付けて縮め、丘から滑り降りた。
食事をがっついていた彼女らの箸が止まり、準備万端だった炎魃は立ち上がった。
夏蔭はたき火のそばに置きっぱなしだった黒漆の太刀を腰に差した。

「飯食い終わったら順次着いてこい。炎魃、お前もだ」

ずっと監視役に徹していて食事をしていなかった炎魃を片手で制すと、言い分も聞かずに走りだした。
乾いた大地が砂埃を撒き上げ、可憐な百合が踏みしだかれる。
文字通り屍山血河の間をすり抜けていると、思いの外近くで馬のいななきを聞いた。
愛馬・摺墨は黒い閃光のように駆けてきたかと思うと、寄り添うかのようにスピードを落とした。
彼を放してくれた誰かに感謝しつつ、走りながらたてがみと鞍を掴んで一気に身体を持ち上げる。
示し合わせたように速度を上げる摺墨の蹄の下で、生々しい音とともに骨が肉ごと砕けた。
だから不意に絶叫が空気を切り裂いたとき、生きていた猛者でもいたのかと足下を見てしまった。
悲鳴を上げていたのは追走していた前方の部隊だった。さっきまでの威勢は吹き消され、小山ほどもある黒い物体に追いかけ回され散り散りになっている。
ごわごわとした毛に覆われた巨体は、顔らしき部分が真ん中から大きく裂けていて、そこから血まみれの鎧が覗いていた。
口を動かすたびに恐怖を煽りそうな咀嚼音が響く。
三体の獣は新たな獲物の出現に歓喜して吠えた。飛び散ったよだれと血が体毛を汚してもお構いなしだ。「行儀がなってないな」
景気づけ代わりに手綱を手繰り、躍動する黒い腹を蹴った。
式神の一匹が血にまみれた口を開けて踊りかかってきた。
覆いかぶさるようにして襲い来る口を横飛びにして避ける。勢い余った牙は二抱えはありそうな木にしっかりと食い込んだ。
続いて飛びかかろうと筋肉を収縮させる二匹目に、腰から抜いたロイヤルブルーのリボルバーで一発お見舞いする。
弾丸は宙を切り裂いて、真っ直ぐ針の穴のような眼孔に突き刺さった。
絶命した獣は倒れてしばらく痙攣したあと、動かなくなった。それを踏み台にして高く飛ぶ。
最後の一匹の頭上を越える際、蹄の先で罠のように牙が咬み合わさった。
背後へと降り立つと、木立の影で数人の足軽たちが固まって震えていた。
一様に血に染め上げられていて、一目で逃げ遅れたのだと分かる。騎馬武者である彼らの上司は、とっくの昔に逃げてしまったのだろう。

「さっさと逃げな。ここはうちに任せておけ」

少し離れたところで巨大な岩を発見した。
そこまで馬を飛ばして回り込むと、案の定一際立派な鎧に身を包んだ男が一人、情けなくも頭を抱えてうずくまっていた。
呆れて声も出ないとはこのことだ。
興奮した摺墨をなだめて、男に近寄ったとき、巨大な馬体の影にびくりとはんのうして、彼は恐る恐る夏蔭を仰ぎ見た。

「あのなぁ、お前大将任されてんだろ?
大将が逃げてどうするんだ、この腰抜け」

「だ、黙れ!」

どうも最後の言葉がプライドを刺激してしまったらしい。肝っ玉は豆粒ほどしかないのに、随分大きなプライドである。
顔を真っ赤にした男の穂先が、喉の薄皮一枚まで肉迫した。

「賊の分際で私に口出しするな!」

「敗将の分際で私に口出しできるのか?」

うっと言葉に詰まったところで、槍の太刀打ちを掴んで奪い取り、逆に男に向かって突き出した。
男は怯むが、なんのことはない。穂先は身体と鎧を間を貫通した。
抵抗して暴れられる前に、そのまま持ち上げて、男を槍につっかけたまま走りだした。
直後に大岩が砕け散った。槍の先で悲鳴が上がる。
ちらと振り返ると、最後に飛び越えた最も大きい一匹を戦闘に、もう一匹が追いかけてくる。
摺墨の馬蹄形を掘り返し、えぐれた地面を作りながら、式神はわけの分からない咆哮を上げた。
目の前にエサが吊るされているのに届かない。しかも僅かに馬の方が早く、徐々に間が空いていく。
まさに人参を吊り下げられたような状態に、焦れてのことだろう。
このままあっちの船にこいつらをぶつけるのも悪くないという考えがわき起こり、槍をたぐり寄せて、恐れおののく武人を後ろに乗せようとしたときだった。
緩やかなカーブが終わり、目の前に銀色に輝く部隊が現れた。
地面に無数の弾丸が撃ち込まれ、驚いた摺墨がいなないて立ち上がる。
だが反して夏蔭は凄絶な笑みを浮かべた。
穂先のエサを森に放り込み、槍を携えると、新たに撃鉄を起こす音が響き渡る。

「本場の巫覡を見せてやるよ」

その言葉に動揺が走った。異国語でざわめく銃列を背に、夏蔭は投擲の構えを取る。
カーブの向こうから式神たちが見えてくる。
槍から紫電が散った。
槍を渦巻くように弾ける電流は、夏蔭の黒髪を逆立てさせる。
あの口が本来口ではないところまで裂け、
光の爆発。
光の奔流となったそれは目にも留まらぬ速さで飛び去った。そして最後美の式神が熟したザクロのように弾け飛ぶ。
一体目も怖気づいたように止まっていたが、それは正しくない。何せヤツの口は脊髄まで貫通している。
しばらくゆらゆらと揺れたあと倒れたが、恐るべき高電圧がその血を干上がらせ、肉を焼いたので血の雨は降らなかった。
呆然として立ち膝すら崩してしまった異人たちに向かい、今度は刀を抜き払う。
ほの蒼く色めく刃は細波のように脈動する。

「さあ、殺し合いを始めようじゃないか」

三つの肉塊の奥から、侵略者を追い返す絶望の蹄が迫っていた。